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寺紋は三つ葉葵…

本堂中央に鎮座する日蓮聖人座像は、徳川第11代将軍「家斎」の命により建立された徳川幕府の祈祷寺「鼠山の感應寺(ねずみやまのかんのうじ)」の本堂中央に奉られていた尊像である。その像内には、将軍の遺骨が納められていた。(鼠山は、現在の豊島区目白近辺)

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この写真は、日蓮聖人座像が感應寺本堂に泰安されるときの大行列の絵巻である。
写真左の神輿内に尊像が納められている。
感應寺は、水野忠邦の大改革によって廃寺となり、日蓮聖人座像だけは、縁あって当山に泰安された。
当山の境内に入って右側にひっそりとたたずむ供養塔は、徳川家や織田家とのゆかりがあり、鎌倉市指定文化財となっている。

徳川三代将軍家光公の弟、駿河大納言徳川忠長公の奥方(織田信長の孫・織田信良の娘)松孝院殿妙行日久が功徳主で建立されたのが、当山の供養塔。

供養塔には自身の法号を含め、夫・両親・兄弟の法号と、当山第六世圓解院日超の銘と花押。建立年代は明記されていないが、所見から元禄年間と見られる。
また、松孝院殿寄進の過去帳台と聲(鳴り物仏具)台は寺宝となっている。

徳川忠長公について

粗暴な性格を理由に甲府へ蟄居を命じられた後、高崎に幽閉され、28歳自刃。
法号 峯岸院殿前亜晴徹暁雲大居士 寛永10年12月6日(1633年)

忠長公関連寺院(墓所)

高崎 大信寺(浄土宗)

▲忠長公墓所
幕府に配慮して、長い間お墓に鎖がかけてあった

高崎 長松寺(曹洞宗)

▲忠長公自刃の間を高崎城内より移築

本郷 昌清寺

▲忠長公供養塔
▲乳母昌清尼墓所
奥方が幕府に考慮し、乳母に建立させたとされる

京都 金戒光明寺(浄土宗)

▲忠長公供養塔
五輪塔
▲お江与(お江)の方供養塔
忠長公の供養よりも大きい物
▲春日局供養塔
家光を溺愛した春日局が、お江与の溺愛した忠長公を失脚させた後ろめたさから建立したのでは?との説がある

芝 増上寺

▲お江与の方墓所

高野山奥の院

▲お江与の方供養塔
五輪塔。寛永3年に忠長公が建立した、院内最大の塔

寺伝

松孝院殿が夫の不遇な人生、悲惨な最後に悲歎やるかたなく、時の当山第三世恵眼院日珖上人に供養を懇願。
追善供養のために莫大な金子と広大な土地を寄進し、三千坪の境内に七堂伽藍を造営したが、享保5年(1720年)に焼失。

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