大埜茲稔聖人 東京大空襲の中、国宝日蓮聖人像・真筆「兄弟抄」(上 写真)等 救出   昭和20年4月15日 

◆大埜茲稔聖人 国宝日蓮聖人尊像と真筆御書を大火の中救出される
(「池上本門寺史」昭和56年11月10日)

昭和32年(1957)10月1日発行の『日蓮宗新聞』

『その日は、昭和20年4月15日でした。本門寺に直撃弾が落ちたのは、夜の11時05分でした。安立院、東之院がはじめに炎上し、焼夷弾が雨のように落下し始めました。祖師堂の須弥壇に駆け上がってお祖師様を抱え上げ、〈中略〉、大阪の野沢氏の墓地へ避難し、十畳敷もあろう大きなカロートにお祖師様をやっとの思いでお隠し致しました。』その後、長持ち二竿を持ち出したあとは手のつけようがなかったいう。(注)カロート、墓石の下にあり、骨壺を安置する小部屋。

『炎の中を大埜茲稔師は、国宝の祖師像を避難させ、ついで「兄弟鈔」などの御真筆の入った宗宝の長持二棹を持ち出し、難を逃れたことは不幸中の幸いであった。』(「池上本門寺史」昭和56年11月10日 大本山池上本門寺発行より)

◆大埜茲稔聖人 筆  鎌倉由比ヶ浜 交通安全碑

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